2020年12月12日土曜日

Partridge of Redditch

HARDY風グリップに交換、リールシートの付け替えで、持ち込まれたパートリッジ・バンブーロッドはスペック記入が消えていて、なかなか判別できなかったが、光の加減で薄らと「Partridge of Redditch,made in England」と「A&F 8'6" #4/5」と読めた。米国に輸出されAbercrombie & Fitch (かつてのA&F)で販売されたロッドだ。トップが4-5/8"長い2ピースで樹脂含浸impregnatedされたシャフトに濃紺と赤の飾り巻きが施されている。この形態からして竿作りを始めた1970年代初期のロッドと考えられる。その頃の日本の釣り雑誌広告に「雨の日は仕事をしない」というコピーがあったことを記憶している(当時は、え〜なんで〜と思ったけど・笑) 以下はPartridge of Redditch HPより抜粋した歴史。長文だがご一読あれ『名前が示すように、レディッチのパートリッジは、イングランド中部のレディッチのマウント・プレザントに拠点を置いていました。町と地区の両方は、何世代にもわたってその特殊な金属加工、特に針製造とフック製造で有名です。これがいつ始まったかを確定するのは簡単ではありませんが、可能性のある理論によれば、それはレディッチに大きな修道院が存在することから始まりました。僧侶は熟練した職人であると言われ、ヘンリー8世が同胞団を解散させたとき、僧侶はその地域の主要なカトリックの家族に連れて行かれました。そこから、鋼の加工と特殊な金属加工が開発され、洗練されました。 初期の頃、針作りとフック作りは密接に関係していました。針を作るために開発された技術は、フックを作るのにも適用できます。鋼線はバーミンガムで引き抜かれ、スタッドリー、アルセスター、ヘンリーインアーデン、レディッチなどの隣接する町の針とフックの生産者に送られました。 19世紀半ば、レディッチは主要なフック生産の中心地としての地位を確立したようでした。 19世紀の後半、純粋な手仕事から工業生産への移行により、レディッチは世界中で優れた魚のフックで有名になりました。この期間に、彼らは実際に世界市場を支配しました。 パートリッジの初期の歴史はややあいまいです。今世紀に入って間もなく、既存のフック製造に基づいて開始されたことはわかっていますが、正確な年はもう誰にもわかりません。しかし、私たちが知っていることは、20世紀に生き残り、自分たちの名前を作ることができたのは、英国のスポーツフックメーカーだけだということです。レディッチのパートリッジは、創設者のアルバートパートリッジにちなんで名付けられました。彼は会社を息子のテッドに任せましたが息子のテッドは1970年にAlanBramleyアラン・ブラムリーに会社を売却しましたが、彼の子供たちは誰も会社に興味がありませんでした。 アラン・ブラムリーは会社をさらに発展させ、1970年代に彼は独占的なスプリットケーンロッドを含むように生産を拡大し、フック生産の開発と改善を続けました。彼のおかげで、レディッチのパートリッジは国際的に高く評価されている釣り鉤ブランドになりました。 1996年にはノルウェーのフックメーカーであるO. Mustad&SonはブラムリーからPartridge of Redditchを買収しました。 O. Mustad&Sonが1870年代に釣り針の生産を開始したとき、彼らはすぐに彼らの機械から出てくる釣り鉤が魚に合わないことに気づきました。それは柔らかすぎて、水中で一日を過ごした後錆びました。創設者のハンス・マスタッドは、問題を解決するために、イギリスのレディッチから職人を召喚しました。彼らは焼き戻し、デザイン、フライタイイングのスペシャリストでした。レディッチの専門知識のおかげもあってマスタドは今日、世界の釣り針の大手メーカーです。 Mustadはパートリッジ・オブ・レディッチ、ブランドの伝統と品質を明確に認識し、高く評価しました。 ごく最近、マスタードはレディッチのパートリッジをフィッシングマターズLTDに売却しました。フィッシングマターズLTDは現在、英国とアイルランドでの流通を管理しており、世界中にディーラーを持ち流通を続けています。』ふ〜ん、会社に歴史あり。なるほど〜でしょ(笑)

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