2020年8月7日金曜日

once upon a time

昭和16年(1941年)釣之研究社刊「毛鉤釣教壇」金子正勝著の広告ページに「植野リール製作所」が掲載されている。古いオリンピックリールには五輪マークの上に飛魚が刻印されている。知的財産であるコピー製品や商標権が問題にされない「緩い」時代だった。時は進み国際オリンピック委員会に憚ってか「オリムピック釣具」いう呼称の社名にしてみたものの最終的には光学会社と合併してマミヤOPとなった。20年位前に釣具の製造・販売から撤退して久しい...
横浜・桜木町が現在の様に再開発される前の1970年代、東は造船所と国鉄の引き込み線、桜木町駅の古い駅舎を西に国道を渡ったビルディング内に釣具店があり、そこで購入したOlympic#4200フライリールの話である。当時、20代の若造にとってハーディリールは高嶺の花で手が出なかったが、そっくりに作られたリールを見つけた。サイズはフェザーウェィトFeatherweightと同じで直径2-7/8"(7.30cm)#4番ラインにピッタリ。購入した価格は忘れたけど2,000円はしなかったと思う。東京・京橋「つるや釣具店」で輸入販売していた本物は23,000円だったか...(横浜・曙町にも暖簾分けされた「つるや釣具店」があり、通った・笑)
日本の製造技術を持って作られたリールは一大消費地である米国に塗装色を変えて(Heddon #300 seriesなど)ブランドを付けられ輸出されていた。1975年5月に英国のエリザベス女王Queen Elizabeth IIがフィリップ殿下と訪日するにあたり、この英国の誇るハーディ社「そっくりさん」というより「コピー」商品が世界中で安価に販売される事が槍玉に上がり製造と販売をやめたと聞く。これがまたよく出来ていて、70年台のU型ラインガード(所謂ヘビーU)、裏側のリベット位置、ドラグ内部構造まで「完コピ」製品。今なら大問題だったろうが...ゆるい時代のメイド・イン・ジャパン。プアマンズ・ハーディ(笑)スプールは淡い若草色に焼き付け塗装されていたが、その後こっこつと剥がして本家に近づけた...ボディは深緑色、Hardy/tealのような塗装を施されている。
1980年代になり、我が国でも「フライフィッシング熱」が高まり、輸入品だけでは無くフライリールを国内、海外に向けて量産製造する会社が数社出現した(現在では皆無に近い)...この項、続く(かも・笑)

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