2023年3月12日日曜日

footprints

興味が湧き、オーストラリアのバンブーロッドビルダー、ジョン・マッギンJohn McGinnの足跡footprintsを調べてみても、わからない事が多かった。彼のデーターベースを構築中のA.E.Mの友人からの情報を貰った...このカタログは、何年も前に閉店したシドニーにあった有名ショップ、The Australian Fly-Fishermanの1989 年のカタログ...
オーストラリアのバンブーロッドメーカーに関する私の友人の記事の情報には、次のように書かれています。『ジョンは 1981年頃に英国から移住し、最初はアデレードに移り、その後ブリスベンの南にあるウッドリッジに移り住みました。 ラナルド・ムーアによる1988年の新聞記事で、ジョンは35年間バンブー ロッドを作っていたと述べており、これは彼が 1953年頃にイギリスで見習いを始めたことを示唆しています。レディッチのパートリッジに売却して移住する20年前。記事によると、ジョンのロッド作成プロセスは、分割する前に、トンキンケーンの稈を焼くことから始まる標準的な手順に従いました。分割部分の面取りは、手作業ではなく、必要なテーパーに合わせて設定された機械によって行われました。 彼のロッドは含浸されていました。 ジョンは主に息子のカラムに支えられて、米国、日本、オーストラリアの市場向けに製作しましたで。 彼のすべてのロッドには番号が付けられています。ジョンがいつバンブー ロッドの製造を中止したのかはわかりませんが、1990 年代初頭に、バンブー ロッド製造の手順に類似したプロセスで、グラファイトTセクションの組み立てと接着を含む六角形のグラファイト・ロッドを製造しました。 1990 年代半ばに、この製品の権利は米国の会社によって購入されました。ジョンの息子のカラムは 2000 年代までバンブー ロッドを作り続けていましたが、彼がまだバンブー ロッドを作っているかどうかはわかりません。』 へ〜「六角形のグラファイト」ってアレか〜と想像がつく。1980年代は世界的にフライフィッシングの黄金期で「熱意」と、多くの『学び」がある...
グリップ、シートフィラーと穂先を新しくした JH McGinn "Creewah Rod" 8'#5...オーストラリアの広大な自然と共に。

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