2020年12月10日木曜日
ART
秋田県立美術館で開催されている「縄文の焔と闇」戸嶋靖昌・企画展に誘われ出かけたのだが「平野政吉コレクション」のレオナール・フジタLéonard Foujita藤田嗣治の画業に魅せられた【平野政吉(ひらのまさきち)1895(明治28)年~1989(平成元)年秋田市の商人町で米穀商を営み、県内有数の資産家でもあった平野家の三代目。青年期から浮世絵、骨董、江戸期の絵画などに興味を持ち、生涯を賭けて美術品を蒐集した。平野がはじめて藤田嗣治の作品を観たのは、1929(昭和4)年の藤田の一時帰国時の個展で、その後1934(昭和9)年、東京の二科展の会場で、平野と藤田は出会う。平野は、1936年、藤田の妻・マドレーヌの急逝にともない鎮魂のために美術館の建設を構想。藤田の大作を多数購入し、藤田の壁画制作も進めた。しかし戦時下、美術館の建設は中止され、その約30年後の1967(昭和42)年、平野は「青少年を豊かな人間に」と願い、長年収集した美術品を公開するために財団法人平野政吉美術館を設立。同年5月には、平野政吉コレクションを展観する秋田県立美術館が開館し現在に至る。平野政吉コレクションの核である藤田作品は、1930年代の藤田の画業を俯瞰する作品群として広く知られている。美術館HPより】1937年に平野に請われ制作した「秋田の行事」3m65cmX20m50cmもある大壁画だ。昭和12年2月21日〜3月7日までの二週間で、174時間という短期で描かれた絵に圧倒された。縮小写真(13X72cm)が販売されていたので購入して、我が家にも飾る(笑)
♪ヤートーセーコラ、秋田音頭です(ハイ、キタカサッサー、コイサッサー、コイナー)コラ、いずれこれより ご免こうむり音頭の無駄を言う(アーソレソレ)お気に障りもあろうけれどもさっさと出しかける。コラ、秋田名物 八森鰰(ハタハタ)、男鹿で男鹿ブリコ(アーソレソレ)能代春慶、桧山納豆、大館曲げわっぱ♪..では無いけど「秋田みやげ」煙くさくて好きな「いぶりがっこ」は頂いちゃいました。
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